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「君の名前は、何といったかな」

投げかけられた言葉に体のどこかが反応したのか、深い眠りから覚めたように、意識が徐々に形を成していく。周囲の景色は初めて目にするもののように思えるが、知らない場所というわけでもなさそうだった。あるいは無意識のうちに自分の目が開いていて、ただその景色を機械的に、無機質な情報として頭の中に刻み込んでいたのかも知れないが。見覚えはあるが、どの類の感情も刺激しない景色。

「君の、名前は」

最初に問いかけてきた言葉が、もう一度尋ねる。言葉のする方へ体を向けると、部屋の隅で小さな事務机に向かって座る、初老の男性がこちらへ顔を向けていた。

「名前」

彼の右手では万年筆のようなものが、いらだちを抑えるためか、右のこめかみへあてがわれる役目を果たしている。事務机の上には古めかしい帳簿が広げられ、読み取れない文字で何かが書き連ねられている。薄暗いこの部屋に男性はいかにも似つかわしい様子で、そういえばこの部屋はどことなく、警察官が容疑者を調べるような部屋に似ている、と想起させるものだった。そんなところへ足を踏み入れたことのない自分にそう思わせるのは、薄暗さ、古めかしさ、生活感のなさなどが、自分に紋切り型の印象を与えているだけに過ぎないかも知れないが。

「そう、君の名前だ。教えてくれないか」

万年筆が右のこめかみを離れ、帳簿の紙面で軽快な音をたてる。彼はうんざりしているようにも見えたが、それにしてはどことなく、諦めのような風情も漂っているように思われた。天井からぶら下げられているのだろう電球が、彼の表情に暗い影を落としてみせる。そういえば、この部屋には窓がない。

「僕の、名前は」