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absent

「寂しくなるな」

本当に寂しいということがどういうことか、あなたはわかってはいないでしょう。私の言葉は声には変わらなかった。飲み込み直したところで胸焼けを起こすだけだったろうけれど、吐き出してしまうわけにはいかなかった。

「本当に、寂しくなる」

その目、その声。どれも、消えやしないのよ。

「どっちかが消えてなくなるわけじゃないわ。会おうと思ったらいつでも会える。だって、まだ同じ国に住んでるんですもの」

私にそんな気はないけれど。

「でも、僕らはもう会わないだろうな」

あなたは本当に寂しいということがどういうことか、わかってはいないわ。いつでも会えることだとか、これから会う予定がないだとか、そんなことは本当に小さなこと。これから繰り返す後悔に比べたら、本当に小さなこと。

silence

波を打ったような静けさの中、月の他に何も見えない真暗な闇の中、意図したものかどうか、ひそひそと小さな話し声がどこからか聞こえる。

「しかし、不幸中の幸いとはこのことだ」 「そうかね。私はいささか残念な心境だ」 「こんな真暗な夜、こんな静けさじゃ、君が話し相手としてここにいなかったら、俺はきっと頭がどうにかなっていただろうな」 「そうか、それは何より。だが私は、人の声も聞こえない静けさというものを、一度でいいから味わってみたかった」

しばらくひそひそ声は止んだが、舌打ちのように、ぼそりと一言だけ投げられた。その声は、どちらのものかはわからない。

「どうしてこんな夜に、こいつと」

kidding

「なあ、そんな目で見るなよ。こんな結果にはなったけれど、僕は君とのことを後悔なんてしていない。きっと君もそうだと思っていたけれど、ああ、そのことだけが残念だ」 「あなたは、随分お楽しみだったようね。いつだってそうだわ、苦しいだとか辛いだとか、そんなことを口にできる人間は幸せなのよ。だってそうでしょう、文句を言ったら誰かが助けてくれるだなんて。なんて幸せなのかしら」 「なあ、最後まで話を聞いてくれよ。そりゃ確かに、僕は最終的に君を選びはしなかったけれど、結果としてそうなったけれど、なあ、聞いてくれよ、まさか君だって、『愛してる』なんて言葉が本当に意味を持つなんてこと、信じてやしないだろう?」

lies

「ねえ、教えてちょうだい」

猫なで声で女が問い掛ける。鼻から抜けるような甘え声は、男をたぶらかすために身に付けたものか、それとも生来のものか。どちらにしろ彼女は、天性の素質を持っているのだろう。男を騙し、取り入るようなことに関して、の。

「どうして、あなたは」

けれど、天賦の才であろうと叶わないことはある。彼女はずっとそれを知らなかったし、不幸なことにそのことを思い付きもしなかった。彼女の周りにいる誰もが、彼女にそのことを教えなかった。彼らもまた、彼女がそのような局面に直面することは、天文学的な確率であると考えていたからだ。

「ねえ、お願い、答えて」

しかし、それは起こった。彼女は、彼女の思い通りにならない男に出会った。それはもう少し早ければ彼女を大いに成長させただろうし、もう少し遅ければ彼女にとって痛手にはならなかった、彼女を一生愛する男が現れた頃だったら。けれど、彼女はそのどちらでもなかった。それはつまり、悲劇ということだ。

「ねえ、お願い」

電話口からは声は聞こえない。彼女は生まれて初めての挫折に嘆き、二度と這い上がれない断崖を感じ、涙する。

snow

雪が降る、雪が降る。灰色で無機質な駅前の風景も、緑に溢れた郊外の愛すべき我が家も、何もかも真っ白に染めてくれる保証があるのなら、毎晩雪に埋もれて歩いても構わない。けたたましいサイレンの赤も、疾走するスポーツカーの青も、夕日の橙も、夕闇の黒も、全部何もかも真っ白に染めてくれる保証があるのなら。僕は、腰まで雪に埋もれて苦笑いすることだって、少しも苦しいとは思わないだろう。

「あなたは雪の怖さを知らないのよ」 「怖くなんてあるもんか。雪に比べりゃ、怖くないことなんてないよ。雪が怖いんなら、きっと僕は怖くないものを何ひとつ知らない」 「知らないから、あなたは」

本当は、何も白くなんて染まらない。ただ少しの間だけ表面を彩って、けれどそれは他の色と同じように不安定に、時間が経てば色褪せてしまう。純白のまま一時間もいられない雪は、他の色と同じように、それ以上に、繊細で無神経だ。何もそこに留めておかないし、何もそこにはない。雪は、僕が嫌う何よりも不安定で無神経で、何もないのだ。

「怖くなんてあるもんか」

何よりも怖いのに、何よりも嫌いなのに。

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